松下幸之助の名言
松下電器産業(現パナソニック)創業者
松下幸之助の名言。全420個。
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世間には、大志を抱きながら大志に溺れて、何一つできない人がいる。言うことは立派だが、実行が伴わない。世の失敗者には、とかくこういう人が多い。
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よいと考えたことは、考えているだけではなんの意味もない。言うだけでも同じこと。実行して初めて本当に考えていたことになる。
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一方はこれで十分だと考えるが、もう一方はまだ足りないかもしれないと考える。そうしたいわば紙一枚の差が、大きな成果の違いを生む。
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失敗の原因を素直に認識し、「これは非常にいい体験だった。尊い教訓になった」というところまで心を開く人は、後日進歩し成長する人だと思います。
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これだけはどこにも負けない、というものをもつ。余力ができて、手を広げたいときでも、ぐっとがまんして、今やっている仕事を突き進め、世界に通じる水準まで高めていくほうがいい。
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会社が上手くいかないということは、社長の意図するところに大きな欠陥があるからで、他人を責める前に、まず自らを強く責めなければならない。
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なんとしても二階へ上がりたい。どうしても二階に上がろう。この熱意がハシゴを思いつかせ、階段をつくりあげる。上がっても上がらなくても、と考えている人の頭からは、けっしてハシゴは生まれない。
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人と比較をして劣っているといっても、決して恥ずることではない。けれども、去年の自分と今年の自分とを比較して、もしも今年が劣っているとしたら、それこそ恥ずべきことである。
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どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。いま、現在に最善を尽くすことである。
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「天は二物を与えず」と言うが、逆に「なるほど、天は二物を与えないが、しかし一物は与えてくれる」ということが言えると思う。その与えられた一つのものを、大事にして育て上げることである。
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自分が利を得るために、不必要に自分の膝を屈することは決してすまい。なぜなら、そうして得られた応援や協力は、また目に見えないしがらみを生み、道を暗くするからである。
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叱るときには、本気で叱らんと部下は可哀想やで。策でもって叱ってはあかんよ。けど、いつでも、人間は偉大な存在であるという考えを根底に持っておらんとね。
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青春とは心の若さである。信念と希望にあふれ、勇気にみちて、日に新たな活動を続けるかぎり、青春は永遠にその人のものである。
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私は、失敗するかもしれないけれども、やってみようというような事は決してしません。絶対に成功するのだということを、確信してやるのです。何が何でもやるのだ、という意気込みでやるのです。
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アイデアを生むと言っても、口先だけでは生まれない。これもやはり熱心であること。寝てもさめても一事に没頭するほどの熱心さから、思いもかけぬ、よき知恵が授かる。
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人生には損得を超越した一面、自分がこれと決めたものには命を賭けてでも、それに邁進するという一面があってもよいのではないだろうか。
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よく人の意見を聞く、これは経営者の第一条件です。私は学問のある他人が全部、私より良く見え、どんな話でも素直に耳を傾け、自分自身に吸収しようと努めました。
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経営者にとって大事なことは、何と言っても人柄やな。結局これに尽きるといってもかまわんほどや。まず、暖かい心というか、思いやりの心を持っておるかどうかということやね。
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自分の金、自分の仕事、自分の財産。自分のものと言えば自分のものだけれど、これもやっぱり世の中から授かったもの。世の中からの預かり物である。
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何事もゆきづまれば、まず、自分のものの見方を変えることである。案外、人は無意識の中にも一つの見方に執して、他の見方のあることを忘れがちである。
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誰でもそうやけど、反省する人は、きっと成功するな。本当に正しく反省する。そうすると次に何をすべきか、何をしたらいかんかということがきちんとわかるからな。それで成長していくわけや、人間として。
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苦難が来ればそれもよし、順調ならばさらによし、という心づもりを常に持ち、人一倍の働きを積み重ねてゆくことが大切だと思う。
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「自分の行う販売がなければ、社会は運転しない」という自信をもつことであり「それだけの大きな責任を感ぜよ」ということがしっかりした商売ができるかどうかの基本になりますな。
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自分は病弱だったから、すべて人に任せました。結果的にはそれで人が育ち、事業が成功しました。病弱だったのは不運でしたが、結果的にはそれが幸運でした。
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人は、あるところでは卑劣に行動しながら、別のところで高徳に振る舞うことは、できないのである。その些細な心の緩みやごまかしが、全体を蝕んでいくのである。人は騙せても自分自身は騙せない。
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師をそのまま模倣するだけでは師以上にはなれないけれど、その考えをよく吸収消化して自ら励んでいけば、師以上の人物になれるかもしれませんね。
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いくら熱心でもムダなことやったらいけませんで。それがムダかどうかは、あなた自身で考えなさい。これはムダなことかどうか、一つひとつ検討しなさい。必ずムダなことをやっているに違いない。
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一切のものには寿命があると知ったうえで、寿命に達するその瞬間までは、お互いがそこに全精神を打ち込んでゆく。そういう姿から、大きな安心感というか、おおらかな人生が開けるのではないかと思う。
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戦国時代の武将や、明治の志士たちは皆、10代で見事な働きをしているではないか。君はもう20歳を越えている。大丈夫。きっとできるよ。
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いくつになってもわからないものが人生というものである。わからない人生を、わかったようなつもりで歩むほど危険なことはない。
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私のこれまでの人生というものは、さまざまなことを教えてくれた多くの人々の「一言」によって支えられ、成り立っていると言っても過言ではありません。
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どんな賢人でも、その人ひとりの知恵には限りがあって、だから自分の知恵、才覚だけで事を運べば、考えがかたくなになる。視野が狭くなる。
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せっかくの99パーセントの貴重な成果も、残りの1パーセントの止めがしっかりと刺されていなかったら、それは初めからなきに等しい。
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迷う、ということは、一種の欲望からきているように思う。ああもなりたい、こうもなりたい、こういうふうに出世したい、という欲望から迷いがでてくる。それを捨て去れば問題はなくなる。
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叱られて反感をもち、不愉快な態度を示すならば、再び叱ってもらえる機会を失うとともに、自己の進歩もそれで行きづまりとなってしまう。
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10人の人がいれば10人の人の知恵を借りる。100人の人がいれば100人の知恵を借りる。1億人いれば1億人の知恵を借りる。私にとってすべての人、ものがわが師である、という考えでやっている。
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報いられることを期待して感謝の心をもつことはおかしいが、感謝の心をもてば、いろいろなかたちになって報いられるのは確かだ。
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謙虚な心さえあれば、自分の周囲にあるもの、いる人、すべてがわが心の鏡。自分のふるまいの正邪がそこにありのままに映し出されてくる。
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不平不満で腹を立てている。つまりそれは、感謝の心を忘れたり、その不平不満の原因が結局は、自分自身の内なる心にあることを忘れてしまった姿といってもよいでしょう。
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文句を言われるのは、やはりどこかに文句を言われるだけの理由がある。その厳しい得意先をも満足させるだけの、誠意と熱意と信念がほしい。
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気をつけて世の中を見れば、なすべき仕事はいくらでもある。仕事のないのを嘆じるのは、真に仕事を見つけることに努力していないからではないか。
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維新の志士といわれる人びとは、一身をもかえりみず、いわば私心を捨てて国のために尽くした人が多いが、その中でも西郷隆盛はひときわとびぬけて私心というもののなかった人のようである。
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一国の将来を卜するには、その国の、今、政治を担当している人が、百年先、二百年先に、こういう国家をつくるのだという、目標をしっかりもっているかどうかである。
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今の政治の混迷を考えると、国家国民の将来のために、この身がどうなろうと、野垂れ死にしようと、なすべきことをしないといけない。
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他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道はすこしもひらけない。道をひらくためには。まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
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素直さは人を強く正しく聡明にする。逆境に生き抜いてきた人、順境に素直に伸びてきた人、その道程は異なっていても、同じ強さと正しさと聡明さを持つ。
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素直さを失ったとき、逆境は卑屈を生み、順境は自惚を生む。逆境、順境そのいずれをも問わぬ。それはそのときその人に与えられた一つの運命である。ただその境涯に素直に生きるがよい。
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経営とはそう軽々しいものではない。非常に高度なもので、真・善・美を見出さなければ成功しない。ゆえに私は経営は高き総合芸術、それも生きた総合芸術だと思っている。
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人間の心というものは、孫悟空のように、まことに伸縮自在である。その自在な心で、困難なときにこそ、かえってみずからの夢を開拓するという力強い道を歩みたい。
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難しいことだけれども、やろうじゃないかと言い続け、そして実際にやる努力を続けていけば、必ず事はなる。できないと匙を投げたら、永遠にできない。
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私には3つの財産がある。それは学校へ行かなかったこと。健康に優れなかったこと。そして、決断に弱かったことだ。だから、人が教えてくれたり、助けてくれたりして成功した。
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本当の人材とは、その会社に相応した人ですよ。町工場へ東大出に来てもらっても、その人は人材になりますか。困ることもあるでしょう。
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経営が正しくなされれば、共同生活を向上させ、社会にとっても大きな貢献となる。経営というものは、人間が相寄って、人間の幸せのために行なう活動であり、芸術と同じように高く評価されるべきものである。
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任せるということは、この人ならうまくやるだろうということを前提として任せるんです。無責任に任せるんじゃないのですから、いかんなと思うときには口で言ってやらねばいかんです。
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商売というものは単なる売り買いでなく懸命な奉仕であり、そこに良き心が通いあわなければならない。誠意をもって事に当たってこそ、その人の言葉、態度に深い味わいが生まれ、それが人の心を動かす。
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刻々にくだす意志決定を誤らないためには、人を使う立場の者は常日頃から自分の人生観、事業観、社会観の涵養につとめることが大切である。
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カンでいいときと、カンではなく科学的なものでないといけないときがあるわけです。しかし、カンが必要ないということには決してならない。
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経営を預かる者は、仕事がたとえなくても、社内を沈滞させないように考えなくてはいかん。それができるかどうかが、経営者としての分かれ道。
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ビジネスには人中心の考え方を重点におくことが大事。人を中心におくと、いつのまにか突破口が開けて、踏み出せる力が生まれるもんなんや。
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厳しい道程を厳しく歩む――そこにはじめて、人間としての正しい習性が養われ、そのいい習性によって、はじめて幸せというものが味わえてくるのであろう。
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人間の知恵というものは、しぼればいくらでも出てくるものである。もうこれでおしまい。もうこれでお手上げなどというものはない。
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他人はすべて自分よりもアカンと思うよりも、他人は自分よりエライのだ、自分にないものをもっているのだ、と思うほうが結局はトクである。
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昨日と同じことを今日は繰り返すまい。どんな小さなことでもいい。どんな僅かなことでもいい。多くの人びとの、このわずかな工夫の累積が、大きな繁栄を生み出すのである。
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経営理念が単なる利害、単なる拡張というだけではいけない。それらのことが、いわば何が正しいかという人生観に立ち、かつ社会観、国家観、世界観さらには自然の摂理というところから芽生えて来なければならない。
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故障すればすぐに駆けつけて修理をする。注文があればすぐに届ける。そういうサービスもあるだろうが、笑顔のサービスこそ、最も基本的なことであることを忘れてはならない。
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衆知を集めた全員経営、これは私が経営者として終始一貫心がけ、実行してきたことである。全員の知恵が経営の上により多く生かされれば生かされるほど、その会社は発展するといえる。
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経営者はそのことを「空気」で感じられるようにならないといかん。工場へ行ったら、一歩その工場の中に入ったとたん、おかしいなということを、ピンと空気でわからんとほんとうの経営者とはいえん。
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小さいながら、わが商売というものは公のものである。法律上は私的なものであるかもしれないが、その本質というものは、公のものである、ということに気がついた。それは商売を始めて14年ほどしてからやった。
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「大志を抱く」という言葉だけに浮かれてはならない。大志を抱かずとも、一日一日を積み重ねて大きな成功を得る人もいる。決して足もとを見忘れてはいけない。
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その熱意に感じて、知恵のある人は知恵を、才能ある人は才能をといったように、それぞれの人が自分の持てるものを提供してくれるだろう。
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指導者は、こと熱意に関してはだれにも負けないものをもたなくてはならない。知識なり、才能なりにおいては、人に劣ってもよいが、熱意については最高でなければならない。
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活かし方を知らなければ、すべてのものがマイナスになる。ムダだ、マイナスだと頭をかかえてばかりいたら、不満に心が暗くなり、せっかくの天与の贈物も猫に小判。
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順境だけでの人生などありえない。それぞれの世界で頭角をあらわす人は、逆境との闘いに勝った人だ。苦境を活用し、成功の糧とした人だ。
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逆境は尊い。しかしまた順境も尊い。順境であっても謙虚に学ぶ心があれば数え切れないほどの知恵を得ることが出来る。その与えられた境涯に素直に生きることである。謙虚の心を忘れぬことである。
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仕事を部下に任せることは大事である。しかし、その仕事を、自分が知った上で任せなければならない。そうしなければ部下に軽んじられる。
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自分自身より社会全体を見る。同時に国内外の状態を常に見る。そして比較検討しながら、われ何をなすべきかということを考えなければならない。
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風が吹けば波が立ち、波が激しければしぶきをうける。波をうけ、しぶきをかぶっても舵とりさえ確かなら目的の港にはいることができる。
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経営者としての大きな任務の1つは、社員に夢を持たせるというか、目標を示すことであり、それが出来ないのであれば経営者として失格である。
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この電球はどこで光っているか知っているか?子供たちが絵本を読んでいる。すると、外が暗くなる。家の中はもっと暗くなる。そうなれば、どんな物語も途中で閉じなあかん。
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値切られて、薄口銭で飯も食えんようになるという商売はいけません。双方に喜びが残り、味わえるような商売のあり方を、政府は奨励しなければいかんでしょう。
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躍動した経営をやるとかやらんとかいうことは、頂点に立つ経営者が使命感をひとつ持たなかったらいけませんな。指導者次第ということでしょうな。
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「人を見て法を説け」と言ったのはお釈迦様ですが、人間というものが変わらない限り、やはりこれは真理を突いた言葉ではないでしょうか。
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元気な人間は陣頭に立って突っ走るものだが、振り返ると誰もついてきていないことが多い。陣頭に立って、自分についてこいと、独裁になる者が多い。自分は半病人的経営だから、社員たちの後ろからついていく。
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お互いに、自分が他人と違う点をもっとよく考えてみよう。そして、人真似をしないで、自分の道を自分の力で歩いていこう。そこにお互いの幸福と繁栄の道がある。
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今はどこの会社や工場でもよい商品をつくろうとして、品質管理を一生懸命に勉強している。でも、それよりもっと大事なのは、きみ、人質管理やで。
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5年後、10年後にどうなるか、どうすべきか。その上で、今どうしたらいいのかを考える。将来から現在を考えるのが、経営者としての発想である。
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早いけれども雑だというのもいけないし、丁寧だが遅いというのもいけない。念入りに、しかも早くというのが、今日の名人芸なのである。
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経営というものは、手品でもなんでもない。ごまかしでなく、ひとつひとつキチンキチンと正しくやり、やがてそれで信頼してもらうということ。
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熱意があれば、まわりの人がその熱意にほだされて、みな一所懸命やりますよ。なんぼ賢い人でも経営に熱意をもっておらんと、まわりが動かん。
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自分の仕事においては責任ある経営者という意識で取り組もう。そうすれば創意工夫が生まれ、個人にとっても会社にとっても好ましい成果に結びつく。
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何か困難や苦しいことがあっても、人は仕事に集中すればそれを忘れることができる。また、それをやり終えたあとには、非常なうれしさがある。
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情勢は刻々と移り変わっていく。だから、1日の遅れが1年の遅れを生むというような場合も少なくない。決断もせず、実行もせずといった姿で日を過ごすことは許されない。
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人より一時間余計に働くことは尊い。努力である。勤勉である。だが、いままでよりも一時間少なく働いて、いままで以上の成果を挙げることもまた尊い。そこに人間の働き方の進歩があるのではないだろうか。
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モーターといっても小型である。しかも、いま皆さんの家庭でモーターを使っているところがあるか。誰も使っていないということは、無限の市場があることだ。
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一流の人材ばかり集めると会社はおかしくなる。世の中、賢い人が揃っておれば万事上手くいくというものではありません。賢い人は、一人か二人いればたくさんです。
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勤勉の習性は、何にもまして尊いものに思われる。勤勉は喜びを生み、信用を生み、そして富を生む。人間のいわば一つの大事な徳である。
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私は社員に、私の会社は人をつくる会社であって、電器製品は人の次につくるものだと言っているんです。人をつくるのが本業で、電器製品をつくるのは副業やと。
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何年働こうがその会社が腰かけだと思っている限りは、何も身に付かない。だけど3カ月であっても、丁稚になりきる。毎日そういう気持ちでやれば、得るものは大きい。
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ただ単に自分に与えられた仕事のみをやっていればよいと考えて毎日を過ごしていたら、あまり楽しさを感じることもできないでしょうし、ものごとを見る視野も限られてしまうと思います。
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私の少年時代は、むしろ小僧時代という呼び方が当たっているかもしれない。家運の傾いた家に育った私には、幼い時の楽しい思い出は少なく、苦労の思い出だけが多い。
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精神的には何歳になろうとも、青年時代と同じ気持ちを持ち続けることができるはずだ。その精神面での若さというものを決して失いたくないというのが、かねての僕の願いなのである。
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仕事には知恵も大事、才能も大事。しかし、もっと大事なことは些細と思われること、平凡と思われることも疎かにしない心がけである。
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私はこの歳になっても、会社で大きな影響力を持っています。影響力を持つ人間は毎日、私利私欲を抑えるために葛藤しないといけない。私利私欲が表に出てくると、会社は潰れます。
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部下の良さ、偉さがわかるか。自分の部下が100人いるなら、自分の偉さは本当は101番目なんだと思える人が真のリーダーだ。
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ひと言でいって、指導者とは責任をとるということです。責任をとれない人は、指導者たる資格はない。昔は、指導者の心得というのは、みんなのために死ぬということでした。
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「これはこんなものだろう、これでいいんだろう」こういうことで、みずからそれで限界をつくってしまえば、一歩も進歩することができないだろう。
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軍師の言うとおりにしているのでは、大将はいらない。軍師の言うとおりやるか、こういうふうにやれとか、それを決定する才能が経営者の条件。