植木義晴
1
構想の段階では、それを実行できるかどうかはわからないので、「これをやりたい」と思うことが大切です。次に、計画する段階では、準備を万端にし、あらゆる手を打っておかなければ、いざというときにものごとを自分の望む方向に進めることはできません。そして、実行に移すときは、また最初に戻って楽観的に実行するのです。楽観的にならないと、ものごとを進めることはできません。
0
我々は、会社を辞めていった人ばかりでなく、破綻の過程で金融機関や株主様をはじめ多くの方々にご迷惑をおかけいたしました。「お詫びと感謝」、それは社員全員が一生忘れることはありません。まだまだ日本航空は道半ばですが、再建を実現することで、ご迷惑をおかけした皆さま、心ならずも会社を去っていった方々の気持ちに応えること、それが僕の大きな責務だと考えています。
社員が一丸となるためには、明確な目標が必要です。企業理念が最終到達地ではありますが、もう少しわかりやすく会社の進む道を示したものが、中期経営計画です。この中期経営計画を会社のトップが勝手につくった目標と捉えるのではなく、社員全員が自分の目標に落とし込むことが大切です。
2
最近は数字の結果だけを見て、「会社更生法を適用すれば誰でも利益を上げられる」という声も聞きますが、そのたびにリストラで辞めていった仲間の顔が浮かび、その無理解にやり切れない思いをしています。
私が社長に就任した当初から語ってきたのは、「世界一お客様に選ばれ、愛される会社」というメッセージです。世界一の売上げを達成しようとか、世界一の規模の航空会社を目指そうとは言っていません。それでも弊社が短期間で業績を回復し、世間の皆様にご心配をおかけしないだけの成果を出せたのは、社員一人ひとりがこの目標に向かって努力を積み重ねた結果です。
社長就任から一年半ほど経った頃、ふと「社員と一緒に悩めばいいんじゃないか」と気づきました。それまでは、辛さや苦しさはトップである自分が引き受けて、社員には幸せや喜びだけを分け与えなくてはいけないと考えていました。でも本当は、社長も社員も同じ目標に向かう仲間ですよね。だったら、辛さや苦しさを分け合ってもいいのでは。そう思えた瞬間から、気持ちがとてもラクになったし、前向きになれました。
どれだけ準備をしても、想定外のことは起こります。そのとき、それまでに何度も思考を重ね、問題を解決してきたプロセスが役に立つ。何千回、何万回も繰り返してきたからこそ、想定外の事態が起こっても、ごく短時間で最善の判断を下すことができる。
5
実際にトップになってみると、想像したとおり、決して居心地はよくありません。それでも、トップになったからには、果たすべき使命があるし、社長として恥ずかしくないだけの努力をしたい。今はそう考えています。
3
一生懸命に努力していると、自分が日々成長していくのがわかります。なぜそれに気づけるのかと言うと、一週間前、あるいは一か月前の自分の発言を振り返って、「あのときはわかっていなかったな」と恥ずかしく思うことがあるからです。不思議なものですが、人間は何歳になっても、努力さえすれば進歩するものです。
僕は高校を卒業後、パイロットに憧れて航空大学に入り日本航空に入社しました。パイロットの仕事を心から誇りに思い、「自分の一生の仕事」と決めておりましたので、パイロットを辞めて運行部長にならないかとオファーをいただいたときは「役員をお受けするか、会社を辞めてパイロットを続けるか」で三日間悩みました。当時の日本航空は破綻直後で、法的整理によるイメージ悪化などにより二次破綻必至と盛んに騒がれていたときでした。先がまったく見えず社員全員が苦しんでいるのに、「パイロットを続けたい」という己の都合だけで会社を去るのは卑怯な気がして、「操縦桿を置こう。会社を二度と破綻させないこと、それが次の人生の目標にしよう」と決意し、運航本部長を引き受けました。
パイロットを辞めて経営に加わることになったとき、私は自分の仕事人生に区切りをつけました。新たなステージに進んでいくのだから、過去の経験を引きずるのはやめようと思ったのです。私は写真など思い出の品をすべて捨てました。これからは経営をやっていくんだ、と気持ちを新たにするためです。
私は後輩のパイロットたちに「最初の5年間は新しい知識をどんどん頭に入れなさい。5年たったら頭の中を整理してファイリングしなさい。それが10冊になったとしたら、2年後には2冊に減らしなさい」と指導してきました。たいていの人は知識を増やしたがります。でも、本当に頭の良い人は、知識を削ぎ落とすことができます。シンプルに自分を作り替えることができた人だけが、適切な判断や素早い決断ができるのです。
航空大学校は二次試験まで通過したのですが、最終的には不合格でした。自信満々だったのが落ちてしまったんです。その後、大学1年生の夏休みに実家に帰ると、私の机の上に航大の入学願書が置いてあったんです。これは何だろうと思って母に聞いてみると、母が勝手に取り寄せていたんです。母からは「向こうから来ないでいいと言われたからって、そのまま諦めるの?男としてもう1回挑戦しなくていいの」と言われました。もう一度挑戦して合格し、嫌だったら行かなければいいと。だけどこのまま負け犬で終わってはだめよと。そう言われてお尻を叩かれるような感じになりましたね。それでもう一度挑戦しようと思ったんです。
プライドは本人が自発的に持つこともできますが、私は周囲に宣言するという方法を取りました。副操縦士の頃から「誰よりも優秀な機長になる」と公言していたのです。言った以上は、努力を怠るわけにはいかない。私は自分が人の影響を受けやすいと知っていたので、目標を宣言してしまえば、周囲の目を意識せざるを得ないだろうと考えたのです。有言実行を旨とし、自分を常に高みに置くことで、機長に必要なプライドが自然に養われたように思います。
どんなときでも平常心を保ち、適切な行動をとれるようになるには、これでもかというくらいの準備を怠らないこと。それを日々続けていく努力が大切です。
4
プライドを持つことの大切さを自覚したのは、機長になってからです。私にとって機長は最終目標でしたから、それを達成した後は、「現状を維持するために最低限の努力をすればいい」と考えることもできたでしょう。でも私は、機長になってからも、さらなる高みを目指して最大限の努力を続けるべきだと考えた。それは機長としてのプライドがあったからだと思います。
知識をそぎ落とすにはコツがあります。たくさんある知識の中から共通項を探し、自分なりの「ルール・オブ・サム」を作るのです。たとえば、いくつかの空港へのフライトを行なうとして、それぞれの空港に複数の滑走路があれば、数百通りもの進入経路・方式を頭に入れなくてはいけない。でも、すべての空港に共通するルールをひとつ作ってしまえば、どの空港にも応用できる。ただ知識を頭に放り込むだけでなく、それをもとに思考を掘り下げる作業をするから、「これを基準に判断すればいい」という一本の幹のようなものが自分の中にできるのです。
いままでJALになかったことですが、職種も年齢も役職も会社も違うJALグループの社員3万2千人が「JALフィロソフィ教育」と呼ばれる同じ教育を年4回受講しています。しかも職種の異なる社員が1つのテーブルを囲み、ディスカッションを中心に学んでいます。当然、私も含めて役員も交じって学んでいるんです。さらに、どうすればより良い仕事ができるか、自主的に勉強会を行っていますね。朝礼なんてものもない会社でしたが、社員同士で情報を共有する文化も生まれています。そうすると、面白いもので、メールのやりとりをしても文面にフィロソフィの言葉が使われるんですね。
大事なのは準備を丸一日かけたことではなく、それで十分な準備ができたかどうかです。
19歳で飛行機に乗り始め、最終目標だった機長になれたのは41歳。つまり22年間にわたって努力を続けたことになります。これほど長期にわたりモチベーションを保つのは難しい。それができたのは、私が仕事を好きになれたから。
植木義晴のすべての名言