マザー・テレサ
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世界を負かすのに爆弾や銃を用いさせないで下さい。愛と共感を用いさせて下さい。平和は微笑みから始まります。あなたが微笑みたくない人にも1日5回微笑みましょう。神の光をともして、世の中で、またすべての人々の心の中で、あらゆる憎しみや権力愛を消しましょう。
神よ、今日は孤独の苦しみがどれだけひどかったことでしょう。いつまで私の心が、この苦しみに耐え続けられるかわかりません。涙はとめどなく流れ落ちました。すべての人が私の弱さを見るでしょう。神よ、今こそ自分と、そして誘惑者とたたかう勇気をお与えください。私の自由な選択と確信によって行った犠牲から、私を退かせないでください。あなたの愛のために、私は「神の愛の宣教者」として生き、そして死にたいのです。
目的を達成しようとするとき、邪魔をする人に出会うでしょう。ですが、気にすることなく、やり遂げなさい。
今のような、開発の時代に人は皆急いでいて、何かを追いかけているみたいで、道端には競争に耐えられなかった人たちが倒れていくのです。こういう人たちを、私は大切にし、こういう人たちに仕え、世話したいと思っているのです。
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私たちの清貧のひとつの表れは、繕いものに出ているといってもよいでしょう。破れたときはできるだけ上手に繕います。街や修道院のまわりを破れたサリーをそのまま着て歩き回ることは、清貧の徳の証にはなりません。私たちは自分たちの体が、精霊の神殿だということを忘れてはいけないのです。それ故に私たちは、恥ずかしくないようにきちんと繕われた衣服を身につけて体への尊敬を表すのです。
あたたかい微笑み。妻に夫に子供に、そして全ての人に微笑みかけなさい。微笑みは愛を育てます。
貧しい者は自由で、幸福です。この人々にとって、多くのことを常に欲し、望む人々のことは何でもありません。第三世界の貧しい人は、私たちに、満ち足りるということが、どういうことかを教えてくれます。これは西欧の人々が忘れているものです。
神様は私たちに、成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することを望んでいるだけよ。
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男女を問わず、自分のお金をいかに貯めるかで悩んでいる人々は、真の貧者です。もし自分の手もとにあるお金を他人に与えようとするなら、そのときその人は富者、真の意味で豊かな人となれるのです。
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私の恐れているものはただひとつ。お金です。お金への執着、金銭欲こそは、ユダをしてイエスを裏切らせる動機となったのです。
死は悲しい事ではありません。私たちが悲しむべき唯一のことは、自分が聖なる者になっていないという事実だけです。
私は愛情のすべてを注ぎ、できる限りの世話をしました。そしてベッドに寝かせてあげた時、彼女は私の手を取り、美しく微笑んだのです。こんなに美しい笑顔を、私はそれまでに見たことがありませんでした。「ありがとうございました」彼女はそうひとこと言って、静かに息を引き取ったのです。そんな彼女の死を目の当たりにして、私は自分に問いかけてみました。「私が彼女だったら、どうだろう?」私は正直に答えを出してみました。「人の気を惹こうとして、「痛い」とか「お腹が空いた」とか「死にそうだ」とか言ってしまうかもしれない、、、。
あなたのことを愛していますよ。
私が喜びと言うとき、それは大声で笑うこと、馬鹿騒ぎをする状態を意味していません。それらは真の幸せな状態とはことなります。人は笑いとか馬鹿騒ぎで何かを誤魔化そうとすることがあるものです。
最も美しいものとは、、、一体どこにあるのでしょうか、、、それは、一人一人の人間の中にあるのです。
お金を恵むだけで満足しないようにしましょう。お金がすべてではありません。貧しい人々は、私たちが身を持って示す愛。私たちの心の表れとしての愛を求めているのです。
いつもお互いに笑顔で会うことにしましょう。笑顔は愛の始まりですから。
私たちにとって、清貧とは自由を意味しています。清貧こそは私たちの力であり、幸福の源なのです。
油を足し続けなければ、ランプは灯しておけない。
愛は家庭に住まうものなんですよ。子どもを愛し、家庭を愛していれば、何も持っていなくてもしあわせになれるのですよ。
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