マザー・テレサ
1
小さなことに誠実になりなさい。その中にこそ、私達の力はあるのですから。慈悲深い神にとって、小さなものは何もありません。なぜなら、神はとても大きいからです。そして、人間はとても小さいのです。だからこそ、神へのわたしたちの愛を証明する機会を与えてくださるために、あえて神は身をかがめられて、わたしたちにとっての小さなことをわざわざ引き起こして下さるわけなのです。小さなことを引き起こすのは神なのですから、小さなものは本来とても大きいのです。神は小さなことは何も行うことはできません。神のなさることは、全てが無限なのです。
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些細なことに真心を尽くしなさい。あなたの強さは些細なことの中にあるのですから。
親切で慈しみ深くありなさい。
パンがなくて死ぬ人が数えきれないほどいます。そして同時に、数えきれないほど多くの人々が、ちょっとでいいからその存在を認めて欲しいと願いながら、わずかばかりの愛すら与えられないがゆえに、生きる勇気を失っています。
人はしばしば不合理で、非論理的で、自己中心的です。それでも許しなさい。人にやさしくすると、人はあなたに何か隠された動機があるはずだ、と非難するかもしれません。それでも人にやさしくしなさい。成功をすると、不実な友と、本当の敵を得てしまうことでしょう。それでも成功しなさい。正直で誠実であれば、人はあなたをだますかもしれません。それでも正直に誠実でいなさい。歳月を費やして作り上げたものが、一晩で壊されてしまうことになるかもしれません。それでも作り続けなさい。心を穏やかにし幸福を見つけると、妬まれるかもしれません。それでも幸福でいなさい。今日善い行いをしても、次の日には忘れられるでしょう。それでも善を行いを続けなさい。持っている一番いいものを分け与えても、決して十分ではないでしょう。それでも一番いいものを分け与えなさい。
100人に食べ物を与えることができなくても、1人なら出来るでしょ?
2
私の勇気を褒めてくださる人々に申しあげたいのは、私が、ハンセン病者の体に触れ、言いようのない悪臭を放つ膿の流れる体に触れるたびに、聖体でいただくキリストと同じキリストの体に触れているのだと確信なしには、その勇気はあり得ないということです。
誰かに微笑みかけること、それは愛の表現であり、その人へのすばらしい贈り物となるのです。
イエスはあなたの近くに、あなたとともにいます。ランプに火をともしていれば、いつでもイエスを見ることができます。愛の小さなしずくのすべてでランプを満たしていれば、あなたが愛する主がどんなに甘美かわかります。満ち足りた心は、私たちのまなざし、触れ方、書くものの中、話す内容、歩き方、受けとり方、奉仕の仕方などに表れます。
死は自分の家に帰ることですが、人は、何が起こるかを恐れて死にたくないものです。そこには良心の問題もあります。」もっとよくやるべきだったのに」と。私たちは生きたように死ぬものです。死とは人生の続きであり、また、人生を完成させるだけでなく、体をお返しするに過ぎないのです。しかし、心と魂はずっと永遠に生き続けます。死なないのです。
いずれにせよ、もし過ちを犯すとしたら、愛が原因で間違った方が素敵ね。
貧しい人たちは、もう十分に悲しみを味わっているのだから、その人々を一層みじめな思いに浸らせないことのないように、喜びをもって接しなさい。
平和も戦争も家庭から始まります。もし本当に世界平和を願っているなら、まず自分の家が相互に愛し合うことから始めていきましょう。もし、喜びを広げていきたいなら、まず、ひとつひとつの家族が喜びをもって生活することが必要なのです。
人生はひとつのチャンス、人生からなにかをつかみなさい。
5
愛に対する飢えの方が、パンに対する飢えを取り除くことよりも、はるかに難しいのです。
3
愛とは、大きな愛情をもって小さなことをすることです。
もしも私たちが謙虚ならば、褒められようと、けなされようと気にしません。もし誰かがあなたを非難しても、がっかりすることはありません。反対に誰かがあなたを褒めてくれたとしても、それで自分が偉くなったように思う必要もありません。
私が怒りを覚えるのは、無駄使いです。まだ使えるものを捨てたり、または無駄にしているのを見ると、怒りを覚えます。
最大の病はハンセン病や癌や結核などではありません。それは誰にも必要とされず、誰にも気に留めてもらえず、すべての人から見捨てられているという孤独です。
もし本当に愛したいと願うなら、許すことをしらなければなりません。
マザー・テレサのすべての名言