スピノザ
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愛とは、外部の原因の観念を伴った、喜びという一つの快の状態にすぎない。
やれないと思うのは、したくないからだ。そんなことを考えれば、出来るわけがない。
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運命とは、選び出す物だ、受け容れる前に。
名誉の悪用やこの世の虚妄について最も多く呼号する者は、最も多く名誉に飢えているのである。
2
極めて自卑的であり、極めて謙遜であると見られる人々は、大抵の場合、極めて名誉欲が強く極めて妬み深いものである。
3
すべて高貴なものは、稀であるとともに困難である。
ある行為を後悔する者は、二重に不幸あるいは無能である。最初に邪悪な欲望によって、ついで悲しみによって征服される者だからである。
個人に、自分の思うことを言ったり教えたりする自由が与えられない統治が、もっとも暴力的な統治である。
自分のあまり気に入らないことを賞讃するのは純粋な阿諛であり、これは友人間にあって最も危険な最も有害なことと考えます。
高慢は、人間が自己を他の人よりすぐれていると思うことから生じる喜びである。
人間とは、まこと、社会的な動物である。
平和とは戦争がない状態をいうのではない。平和な状態とは徳のあることであり、心の安定であり、親切な行為であり、信頼と正義があることである。
肉的愛、言いかえれば外的美から生ずる生殖欲、また一般的には精神の自由以外の他の原因を持つすべての愛は容易に憎しみに移行する。
憎悪というものも、いったん愛によって、完全に征服されると、愛に変わってしまうのです。従って、このような愛は、憎悪によって先行されなかった愛よりも、ずっと偉大であるのです。
人があれもこれも成しうると考える限り、何も成しうる決心がつかない。
嘲笑せず、嘆かず、呪わず、ただ理解する。
ひとつのものが同時に善であったり悪であったり、そのいずれでもなかったりすることがある。たとえば、音楽は憂鬱な人には善であるが、喪に服している人には悪であり、耳の聞こえない人にとっては善でもなく悪でもない。
すべて存在するものは神の裡にあり、神なくしては何者も存在しえず、また理解もされない。
極端なる自負心と極端なる失望は、共に極端なる無自覚である。
自分を卑下することは、自分を他人より劣ると信じる間違った考えから生まれる悲しみである。
スピノザのすべての名言