貧富の違いは、分度を守るか失うかによる。
二宮尊徳
二宮尊徳のその他の名言
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貧となり富となるのは偶然ではない。富もよってきたる原因があり、貧もそうである。人はみな、財貸は富者のところに集まると思っているが、そうではない。節倹なところと、勉励するところに集まるのだ。
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商売をするときは、金を儲けようなどと考えずに、ひたすら商道の本意を勤めなさい。よく商人の本意を守って努力すれば財は求めなくても集まり、豊かになることは計り知れない。
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貧となり富となる。偶然にあらず、富も因て来る処あり、貧も因て来る処あり。人皆貨財は富者の処に集まると思へども然らず。節約なる処と勉強する所に集まるなり。
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すべての商売は、売りて喜び、買いて喜ぶようにすべし。売りて喜び買いて喜ばざるは道にあらず。貸借の道も、また貸して喜び、借りて喜ばざるは道にあらず。
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すでに熟したものを差し置いて、まだ熟しないものを心配している。これは人情の常である。しかし、まだ熟しないものを心配するより、すでに熟したものを取り入れる方が、どれほど良いかわからぬ。
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恩には報いていかなければならないという道理をわきまえることができれば、この世の中のこと全てについては、何の迷いも無く進められる。
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大事を成さんと欲する者は、まず小事を務むべし。大事を成さんと欲して小事を怠り、その成り難きを憂いて、成り易きを務めざる者は、小人の常なり。それ小を積めば大となる。
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わざわいは過去の因縁によって来る場合もある。名僧が強盗にあったときの歌に「前の世の借りを返すか、いま貸すか、いずれ報いはありとしぞ知れ」と詠んだとおりだろう。決して迷ってはならない。
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世の人が、生きているときは人で、死んでから仏となるというのは間違っている。生きている時から仏であるから死んで仏になるのである。