西田敏行の名言
俳優
西田敏行の名言。全78個。
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一生懸命に生きているのに、報われない。でも、本当に報われなかったかといったらそうじゃない。愛は必ず返ってくるということを、役を通して静かに伝えたいと思いました。
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「あなたは日本を代表する素晴らしい俳優なんだから、もっともっとあなたのことを世界に知ってもらいたいの」と言われました。それを聞いたとき、うれしくて「OK!」なんて返事をしたんです。
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ハマちゃんとは22年間一緒に暮らしていて本当に楽しかったです。ハマちゃんを演じている間は、倒れたり病気になったりすることがなかったということを、僕の中で一つの誇りにしています。
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いろんな人間に接して生きていくと思うんですが、その瞬間に「あ、この人はどういう人で何を考えているんだろう?」ということが一目でわかるような人間でありたいと思いますね。
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アッカーマン監督独特の撮影方法っていうのがあって、とにかくカット割りをしないで引きの映像と寄りの映像を撮るんです。あとは編集で作っていくので、どの映像が使われるかわからないんですよ。
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被災地に行ったら歌ってくれって言われて、アカペラで「もしもピアノが弾けたなら」を歌ったら、皆さんが聴き入ってくださる。歌っていうのは、力を持っているんだなと思いました。
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怒鳴っているところはほとんどアドリブですね。日本人しかわからないだろうというせりふは、なるべく多用させてもらいました。なので、英語の字幕は大変だろうと思いますね。
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「釣りバカ日誌」などでお世話になった県内のロケ地の自然は本当に美しく、その自然が原発事故に遭ったことは罪が重いぞ―という気持ちがあった。
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応援団の話は小泉進次郎復興政務官からいただき、「政府の中でも福島復興に積極的で、しっかり福島を見てくださっている」と感じて、心地よく受け入れることができた。
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「上杉謙信と同い年です!」というセリフだけで、ワクワクしました。謙信と友人だったなら、「謙ちゃん!六ちゃん!」って呼び合っていたのかな?とか、想像するだけで楽しい。
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こんな時代ですから、何にも考えずに三谷さんの世界に浸って心を動かしていただいて、気持ちを豊かにしていただけたらうれしいです。
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変な雰囲気ではなく、もっとシンプルに自分の気持ちを表現できる人間であれば、きっとほかの人も自分を理解してくれて、楽しい人生を送れるんではないかと思います。
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芝居とはいえ、だんだんかわいそうになってきちゃったんですけど、心を鬼にして演じました。撮影じゃないときにお互い「こいつはいいやつだ」というのがわかっていて、信頼関係ができていたので大丈夫でしたね。
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ブリタニーがいない撮影のときは、まるで日本の映画を撮っているみたいでした。ただ、「アクション!」の掛け声を聞いたときは「あ!ハリウッドやぁ~」と思いましたね。
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言葉が通じなくて、お互いなかなか理解し合えないけど、だからこそわかり合えたときの感動はひとしおだと思うんです。そこがうまく表現できていたと感じました。
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「自分の親、祖父母の世代は戦後、日本を焼け野原から立ち直らせたんだ」と自分に言い聞かせて、復興支援のモチベーションを保った。
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役者という仕事を生業としている以上、自分のいろいろな表現をみんなに見てもらい、感じてもらうことがぼくの唯一できる最大限の応援、支援だと思っている。
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負けそうになったり、折れそうになったりしたときは、先輩のすごい舞台や映画を見たりすることで「あっちにいけば間違いない」という思いを強くした。
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自分の道と同じ道を歩んできた先輩の後ろ姿を見つめつつ、その轍というか、トレースを自分の中でも追っ掛けられるように、同じ歩幅で歩いてみる。
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本当の仮安置所では破傷風の危険もあるので裸足はダメらしいのですが、演技とはいえ遺体の枕元を土足でずかずか歩いて良いのかと思い、靴を脱いで裸足になりました。
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「死体ではない。ご遺体なんですよ」というせりふも強調しました。小さいころ、親戚の通夜で、母親がずっと遺体に語りかけていた様子を思い出したからです。
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20年前に阪神大震災が起きました。4年前が東日本大震災です。その間にも、新潟や鳥取、いろんなところで大きな地震が起きています。日本全国どこに住んでいてもひとごとではありません。
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桃李くんは辻井伸行さんと同い年なんです。この世代には才たけている人が多いなと思いました。役者を地層に例えると、桃李くんの世代から新しい層に変わっていく気がします。