野村克也
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野球哲学をきちっと考える。
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野球とは頭のスポーツです。それ以外の答えは出てこない。一球一球の間合いに考え、次に備える。それが野球です。しかし現在の。プロ野球は投げて打って、それだけ。苦労して、考え、苦しむというのがないからドラマにならない。オーナーや球団社長には、もっとしっかりしてほしい。
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俺がなんで失敗してもお前を使っているか、自分で考えろ。
京都の片田舎にある無名校から、十把一絡げのテスト生として入団した私は、最初から努力以外にこの世界で生きる術はないとわかっていました。だから連日連夜、誰よりもバットを振りました。3年目でレギュラー、翌年にはホームラン王になれたのも猛練習のおかげです。
一流の人を真似るのはプロの常識。そういう努力の中で、一流選手と自分との違いや、何が大事なのかということに気づいていく。
言葉の力が強いだけに、禁句というのもある。「妥協、限界、満足」や。「この程度でいいや」「そろそろ限界だ」「もう十分だな」。そんな風に自分の器を小さく見積もるようなことばかり言っている奴は、本当に小さな器になる。自分の言葉で、自分の成長を止めているようなものなんだよ。
悩みを抱えているとき、人は怒りっぽくなるよな。でも、それを仕事の現場で出してはいけない。必ず失敗する。
いくつかの選択肢が見えた後で、最後の最後を決める時に必要なのは、「何があっても責任は俺がとる!」「失敗しても構わない」と腹を決められるかの「覚悟」なんだ。
王や長嶋がヒマワリなら、オレはひっそりと日本海に咲く月見草。
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好かれなくても良いから、信頼はされなければならない。嫌われることを恐れている人に、真のリーダーシップは取れない。
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結果が出なくても努力を続けた者だけが夢や目標を達成できる。
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教えてくれないなら見て盗むことが大切。
現役時代、監督時代、さらに解説者時代を通して「アタマを使って野球をする、語る」ということを強く意識してきた。その結果として、今があると思っている。残念ながら、日本球界では「アタマで勝負」という人間が少なかったからな。おかげさまで、食えとるわけや。
選手の時も監督になってからも、常に野球のことを考えていた。移動中はもちろん、銀座で遊んでいる時も。
困難を「我慢する力」を育てる機会と捉えよ。
私自身のバッターとしての才能は、はっきりいって二流でした。打率でいえば、いいとこ2割5分です。けれども、戦後初の三冠王をはじめとして残した結果は一流だと自負しています。なぜそんなことができたかというと、人の何倍も努力したからです。
勝っているときが一番怖い。リードしているときが一番怖い。
怒りの感情は、思考を停止させてしまう。それは勝負において不利な状況を自ら作り上げている。怒りの感情に支配されやすい人間ほど力を発揮できない。
ヤクルトの古田根拠は何や?」とね。どんな組み合わせを選び、捕手に投げさせるかは監督ではなく捕手のサインにかかっている。野球はドラマだ、なんていわれるが、それなら捕手は「脚本家」といっていい。だから、俺は捕手の配球に、必ず根拠を問う。
捕手に配球の根拠を聞いたときに、「なんとなく……」「いや、直感です」等と答えた日には、こっぴどく叱った。たとえその配球がズバリ決まったとしても、根拠なき選択は次に活かせないからな。
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