畑村洋太郎
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上司から意見を求められることは、部下にとって最大のチャンスなのだ。的確に答えられなかったりして、2度、3度とチャンスを潰していくと、「使えない部下」とのレッテルが貼られてしまう。日ごろからスキルを磨いておく必要がある。
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ビジネスマンだったら、思考を熟成させるときは、まず自分より一つ上のポジションで事象をとらえ直します。課長なら部長、部長なら役員になったつもりで、「上の立場ならどう判断するだろうか」と考えるわけです。自分なりに考えがまとまっても、そこで終わらせてはいけません。次は自分の横にも目を向けます。もし自分が課長なら「他の課長はどう考えるだろうか」「他の会社はどう見ているだろうか」というように、横展開するのです。山の頂上に登ったからこそ、まわりにある森や川の存在に気づくのです。上と横に視座をずらして考えなおすことで思考はさらに深まるのです。
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自分なりに正しい判断ができるようになったとしても、子分である部下が踏み外してはならない掟がひとつある。それは「でしゃばりすぎるのはよくない」ということである。親分である上司は様々な選択肢の中から最終判断を行う。部下から見て、その判断に問題があっても、「自分はこう思う」と口に出してはいけない。あくまで部下の役目は、上司がより正確に判断を行えるように、材料を集めて提出することである。
見学時は、メモをほとんど取りません。印象記を書くのも、見学のあと一週間から10日経ってからです。記録が目的のひとつであるのに、なぜメモを取らないかというと、メモしなければ忘れてしまうような情報は、それほど価値のある情報ではないからです。逆にいうと、問題意識をもって観察すれば、必要な情報は時間を経ても頭に残っているはずです。残った材料だけで、十分に知見を深められます。
相手に分かりやすく伝えるために、表現をかみ砕いたり、やさしい言葉に置き換える工夫は、多くの人が実践してきていることでしょう。ただ、言葉の置き換えには注意が必要です。言葉は別の言葉と一対一で等価に対応しているわけではないからです。たとえば「コモンセンス」という言葉を辞書で引けば、「常識」や「良識」といった訳語があてられています。ただ、日本語に置き換えると微妙にニュアンスが変わってしまうのです。
いま多くの企業で行われている会議は、情報の伝達のみを行うのみの儀礼です。そうではなく、ディベートをすることで、個人知を共有知へと変えていく。議論して個々人が自分の知識をぶつけあえば、それぞれが自分に欠落していた知識に気づくはずです。それにより、個人が持つ暗黙知の表出と共有が可能になるのです。
部下道の奥義というべきものが、よく周囲を観察し、考えることである。
世の中には頭のいい人がたくさんいます。ただ、彼らが見な創造的な仕事をしているとは限りません。それは、一度解いたことのある問題を解くことは得意でも、何を解けば新しい価値を生み出せるかという課題設定を苦手としている人が少なくないからです。
生産現場の一担当者として働いていたとしても、目の前の作業標準や品質のチェックリストを、単なる生産の効率をアップするためのものとは見ない。仮にそこで「より良い製品を作って社会を豊かにしていく」という価値観を持ち得たら、社業標準に反した作業が行われ、不良品が出荷されるのを見たら、その後の自らの行動は定まるはずだ。
価値のあるテーマを設定するには、自分の目でものを見て、考えて、決めて、行動するしかありません。何を解くべきかを教えてくれる人は誰もいません。自分で仮説を立て、試行錯誤を繰り返して課題を見つけていくほかないのです。
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私の場合、アウトプットした文章を寝かせるのではなく、書く前に思考を熟成させることを意識しています。いきなり書きはじめると、インパクトが強いだけの情報に思考が振り回されることがありますが、時間を空けると、余分なものが削ぎ落とされて大事な情報だけが残ります。もちろん情報を寝かせている間にも、頭はフル回転しています。
私が考える部下道の第一歩は、体制に流されないものの見方をしないことからはじまる。ここでいう「体制」とは、会社の文化や考え方であり、一切脇目を振らない利益追求も含まれる。部下は会社から給与をもらって家族を養ってはいるが、一方では社会と関わりながら働いている。その社会との大きなかかわりの中で、個々の価値観を確立していく必要がある。
いま社会が求めているのは、与えられた問題を解く「課題解決力」ではなく、事象を観察して何が問題なのかを見抜く「課題設定力」です。いくら解法を知っていても、解くべき問題を間違えていたら、成果をあげることができません。
印象記は誰かに見せることを前提としていませんが、書くときは人に見せても伝わるように整理しています。第三者が見ても理解できるということは、観察した事象を自分がきちんと抽象化・知識化できているということを意味しています。抽象化・知識化していない雑記は、単なる感想文です。知見と呼べるレベルまで高めてこそ、あとで自分の仕事に活かすことができます。
「伝える」と「伝わる」は違います。こちらがいくら正しく伝えたつもりでも、相手の頭の中で同じ要素と構造が再現されていない限り、何も伝えていないのと同じことです。
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といったことを職場でみんなで考えて、一人ずつ発表させるのです。狙いは、考える習慣を作ることです。それもただ考えるだけでは駄目です。考えてしゃべらないと、思考回路が頭に根付きません。
数字に強い人とは、ものごとを数量的に良く考えることができて、しかも覚えておくことができる人です。こういう人は、ものごとの全体像がきちんと頭の中に入っていて、その全体像の絡みで数を考え、覚えられるのです。
最近の企業には「もし火事が起きるとしたらなぜか」という結果からの発想が欠けているような気がしてなりません。事故に限らず、設計やプロジェクトの遂行も同じ。出発点からどのようにして効率的にゴールに到達するか、ということはよく考えますが、その逆の視点が欠けているのです。
相手に伝わりにくそうな言葉があれば、その言葉が使われていた社会的状況や、言葉を使っていた人々の生活や考え方についても一緒に言及してみましょう。背景を同時に伝えることで、言葉の意味をより深く相手に伝えられるはずです。
私は子供の頃からずっと数字を作り、踊らせてきた。今に至るまでずっとね。
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