丹羽宇一郎
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困難な課題に直面したとき打開するために必要なのは、「自分は間違っていない」という能力の過信でもなければ、「自分は間違っていた」という全否定でもありません。信念は持ちつつも、困難な状況に応じて自らの思考を開いていく謙虚さです。また、人は苦しい状況になるほど人の痛みがわかるようになります。他者への共感は、他者とともに困難に立ち向かう場を生み出します。やがて、これまでにない知恵と力が生まれ、状況が変わり、不可能が可能になります。
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最後は心の強さと平常心。頂点を目指すような戦いにおいて技術はさほど変わらない、心の持ち方によって勝敗が決する。
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トップに立つことができたのは、自分の実力だと考えるのは思い上がり。本当に稼いでいるのは国民であり従業員である。そのことを忘れていないだろうか。
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9年間にも及ぶアメリカ勤務中と帰国後の数年間、食料畑を歩んでいた私は「アメリカの農業については誰にも負けない」といえるだけの力をつけようと、「アメリカ」と名のつく本は農業関係を中心に片っ端から買い集め、読破しました。駐在中も頼まれて、商品市場の記事を日本の新聞に書き、帰国後は一課長の立場で業界紙に「アメリカ農業小史」などの論文を執筆し、学者相手のディスカッションもこなしました。アメリカ農務省の最新データと現地での経験を持つ私の方が、学者より遥かに詳しく、「伊藤忠に丹羽という男がいる」と認められるようになっていました。
人というものは、仕事で磨かれ、読書で磨かれ、他人と交わることでこそ、心が鍛錬される。
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良さそうな人材には、海外赴任など様々な経験をさせてみる。すると、良い人材は自然と周囲から押し出されてくる。
経営者は公人として、その振る舞いが社員を含めたすべてのステークホルダーに見られているという意識を持つ必要がある。
大抵の場合、社長の周囲に口うるさい人はいなくなります。だからこそ、私が社外取締役として、ごちゃごちゃと口うるさく言うということです。その言葉は一人の社外取締役の言葉ではなく、ほかの役員や部下である部長や課長たち、社員一人一人の意見だと思ってくださいと伝えています。
人は誰しも私利私欲に走りやすい。しかし、皆が私利私欲に走ってしまっては国の未来も危ういものになる。
どんな立派な人でも、魔が差すということがある。時に動物の心が顔を出して、立派な人でも愚かな行動をしてしまうことがある。そうならないためには正直に生きるしかない。
会社の経営とは、最大の資産である人をどれだけ生かすかに尽きる。つまり、人を理解しなければならない。
経営者というものは、私人ではない。いついかなるときも、公的な存在だという自覚が必要。
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アリのように働き、経験を積めば、仕事に関する様々な知識を覚えることができます。ただ、その多くは言葉で表現できない暗黙知で、そのままでは概念化できません。そこで勉強を通した形式知を得ることで経験と理論が結びつき、トンボのような複眼的な思考を身につけることができるのです。
世界中、色々なところへ行き、色々な人と会うことで人の心は磨かれていく。
世界情勢が目まぐるしく変わる中で、不合理・非常識なことに時間を費やしている余裕はない。
職業人生でより重要なのは40代前半から次の10年間でしょう。組織の中枢を担うためのマネジメント力が問われるからです。経営の真髄は人的資産をいかに運用管理するかにあります。とすれば、人間はいかなる存在か、その本質を知ることにこそマネジメントの原点はあります。それは自ら苦しい経験を重ね、そして読書などで先人たちの数多くの経験を知ることによって初めて得られます。
企業不祥事を起こさないようにするためには、コーポレートガバナンス・コードを策定したり、社外取締役を増やせばいいというものではない。人として当たり前の「嘘はつくな」、「クリーン、オネスト、ビューティフル」、「清く、正しく、美しく」という子供でも分かるようなことを徹底するべきである。
虚栄心というものが、時に人を努力させ、時には人を誤った方向へ誘惑する。
一見、「これをやるな」というネガティブリストは発想を制限しそうに思えますが、それは逆です。イノベーションは意外なところから生まれます。これがポジティブリストだと「これをやれ」の中に「医療分野の研究」が入っていないので、やってはいけないということになる。ネガティブリストだと、「やってはいけない」こと以外は何をやってもよい。だからイノベーションが生まれやすい。
伊藤忠の社長を辞めた頃に考えたのですが、残りの人生は社会のため、国のために使おうと決めました。だからある意味、覚悟はできていた。
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