「林住期」や「遊行の門」で、私は50歳までは家族のため、社会のために働いて、社会人として勤めを終えた50歳以降は世のために働くことが人生の後半期の楽しみになると提案しました。日本という国もこれからは富まずともアジアのため、世界のために役立つような生き方をするべきではないかと思うのです。
五木寛之
五木寛之のその他の名言
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証明することができない事柄を信用しない人がいる。科学的でない、という理由からだ。しかし、私たちは科学だけで生きているわけではないし、市場原理だけで暮らしているわけでもない。
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寂しさを誤魔化そうとかしてはならない。自分を欺いたりしないで、そのさびしさをまっすぐに見つめ、その自分の心に忠実にしたがえばよい。
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私たちは死ぬときは、ただひとりで逝く。恋人や、家族や、親友がいたとしても、一緒に死ぬわけではない。人は支えあって生きるものだが、最後は結局ひとりで死ぬのだ。
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自分自身を囃し自分自身に相づちを上手に打てるようになったとき、私たちは孤独のなかでも明るく、いきいきした表情で暮らすことができるようになるかもしれない。
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このところ核利用施設の事故があいついで発生した。今後、いつか、どこかで、もっとひどい大災害がひきおこされるかもしれない。