五木寛之
1
スターは存在感がすべてですね。
0
人間は誰でも自分が一番大切なのです。
「他力」というのは、他人の力をあてにするんじゃないのです。上手くいった時には「ああ、後ろから後押ししてくれたんだな」と傲慢にならず、失敗した時も「やるべきことはやったけど、他力の風が吹かなかったんだな」と、失望も落胆もしないですむ絶望的希望でもあるんですよ。
このところ核利用施設の事故があいついで発生した。今後、いつか、どこかで、もっとひどい大災害がひきおこされるかもしれない。
3
西ヨーロッパの人たちにくらべても、日本人ははるかに宗教的な国民ではないかと思われるふしがあります。
肉体的な弱点でも、内面的なものでも、それを他人に気づかれまいと苦心するところから人間は醜くなるのです。
2
人間の値打ちというのはどこにあるのでしょうか。それは、ほかに似た人がいないということです。
4
戦後民主主義の中で育った世代は国家権力の怖さを知らない。戦後、私たちの世代の大きな記憶は預金封鎖です。個人の預貯金が凍結され、家族の数に応じて決められた額しか月々下ろせなかったのです。預金封鎖なんて実感がわかないかもしれませんが、天災と一緒でいつやってくるかわかりません。
出る杭は打たれるけれど、出ない杭は腐る。
7
寂しさを誤魔化そうとかしてはならない。自分を欺いたりしないで、そのさびしさをまっすぐに見つめ、その自分の心に忠実にしたがえばよい。
メタボリック症候群という言葉がすっかり流行語になりましたが、あんなものに踊らされるのが一番いけない。日本は世界で最もメタボ基準が暴走した国です。本当に長生きで健康なのはちょっと小太りな人だとよく言われる。ウエスト幅の健康基準などというものを国家が決めるのはファシズムです。
人の一生というのは生まれた環境によって決まるのか?前世によって決まるのか?
二十一世紀は情報社会だけど、情報の情は「情」なんです。そう考えれば、現代は「こころ」の時代ということになりますね。
天才的な素質をもちながら、世の出ず無名のままに埋もれた人は、いくらでもいる。
6
「林住期」や「遊行の門」で、私は50歳までは家族のため、社会のために働いて、社会人として勤めを終えた50歳以降は世のために働くことが人生の後半期の楽しみになると提案しました。日本という国もこれからは富まずともアジアのため、世界のために役立つような生き方をするべきではないかと思うのです。
証明することができない事柄を信用しない人がいる。科学的でない、という理由からだ。しかし、私たちは科学だけで生きているわけではないし、市場原理だけで暮らしているわけでもない。
人間の値打ちというものは、生きている-この世に生れて、とにかく生きつづけ、今日まで生きている。そのことにまずあるのであって、生きている人間が何事を成し遂げてきたか、という人生の収支決算は、それはそれで、二番目ぐらいに考えていいのではないだろうか。
「人間には無限の可能性がある」というような言いかたには、どこか嘘があると思う。人間にはできることと、そして、できないことがある。
8
日本には世界に誇るべき思想がふたつあります。ひとつは、神仏混淆という考え方です。仏壇と神棚が同居していても争いにならない。一神教同士の原理主義的な宗教対立が先鋭化して世界の発展を阻害している時代だからこそ、共存思想が輝きを放つのです。もうひとつが、Animism、山にも川にも、一木一草にも精霊や神が宿るという考え方です。今日の環境問題の根底には西欧的な人間中心主義があります。人間も地球の一員という発想は、アニミズムの根からしか生まれてきません。
登山というのは、登るだけではない。無事に下山するまでが登山なのです。
五木寛之のすべての名言