ニーチェ
1
私はキリスト教を一大呪詛と呼ぶ。
0
静かに横たわって、のんびりして、待っていること、辛抱すること。だが、それこそ、考えるということではないか!
よい格言は、時の歯がたつには堅すぎる。そして、いかなる時代にも栄養のたしになるのに、幾千年の歳月にも食いつくされはしない。
生きる意味を見出した者は、たいていのことは耐えられる。
学者は本をあちこちひっくり返して調べるだけで、しまいには自分の頭で考える能力をすっかり失ってしまう。本をひっくり返さなければ、何も考えられないのだ。
この世に存在する上で、最大の充実感と喜びを得る秘訣は、危険に生きることである。
総じて値段がつくものは、すべて価値のないものである。
事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。
9
友への同情は、堅い殻の下にひそんでいるのがいい。
自分の力以上のことをつくり出そうとしてそのためにたおれていく人を私は愛する。
2
最上の愛の杯のなかにも、苦いものはある。
私はお前たちに私と同じ冒険を、あるいは冒険とは言わぬまでも同じ孤独を勧めるなどと思わぬがいい。なぜなら、自分自身の道を行く者は誰にも会わないからである。自分自身の道とはそうしたものである。誰もそこでは助けに来てくれない。危険、偶発、悪意、悪天候に遭遇したならば、自力で切り抜けねばならない。自分の道をまさに自分のために進んでいるのだから。
もっと喜び楽しむことを学ぶこと、それこそ他人を苦しめたり、苦しめようと考えたりすることを忘れさせる最善の方法である。
恋愛感情の中には、いつも若干の狂気が潜んでいる。とは言っても、狂気の中にもまた、いつも若干の理性が潜んでいるものである。
私は人間ではない。私はダイナマイトだ。…私は宗教的な人と接触したあとでは手を洗わずにはすませない。
3
我々が不意に、ある事柄について問われた場合に思いつく最初の意見は、一般に我々の意見ではなく、我々の階級・地位・素性につきものの決まり文句にすぎない。
過小評価するより過大評価する方が、判断力の欠如を完璧に暴露してしまう。
常にいつも、汝自身であれ。汝自身の教師、彫刻家であれ。
4
道徳家が誰かをつかまえて、「君はかくかくであるべきだ」と言ったとしても、それは物笑いの種になるだけだ。個人は前から見ても、後ろから見ても、一個の運命であり、ひとつの必然である。その必然は万物と結びついており、個人に対して「変われ」と言うことは、万物に対して変われと要求すること、過去にさかのぼってすら変われと要求することに等しい。
あなたにとってもっとも人間的なこと。それは、誰にも恥ずかしい思いをさせないことである。
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