ニーチェ
3
学問によって確認されるのは真理なのだろうか。むしろ、自分で自分を確認しているだけなのではなかろうか。
1
友への同情は、堅い殻の下にひそんでいるのがいい。
苦しみをともにするのではなく、喜びをともにすることが友人をつくる。
0
自分の力以上のことをつくり出そうとしてそのためにたおれていく人を私は愛する。
2
我々が不意に、ある事柄について問われた場合に思いつく最初の意見は、一般に我々の意見ではなく、我々の階級・地位・素性につきものの決まり文句にすぎない。
恋愛感情の中には、いつも若干の狂気が潜んでいる。とは言っても、狂気の中にもまた、いつも若干の理性が潜んでいるものである。
もっと喜び楽しむことを学ぶこと、それこそ他人を苦しめたり、苦しめようと考えたりすることを忘れさせる最善の方法である。
過小評価するより過大評価する方が、判断力の欠如を完璧に暴露してしまう。
私はひとりでいることにすっかり慣れ親しんでいるので、決して自分を他人と比較するようなことはせず、静かな楽しい気分で自分との対話に打ち興じ、笑いさえ交えて孤独の生活を紡ぎ続ける。
学者は本をあちこちひっくり返して調べるだけで、しまいには自分の頭で考える能力をすっかり失ってしまう。本をひっくり返さなければ、何も考えられないのだ。
われわれのうちで、最も勇気のある者でさえ、自分が本当に知っていることに対する勇気を持つのは稀なことにすぎない。
静かに横たわって、のんびりして、待っていること、辛抱すること。だが、それこそ、考えるということではないか!
私はキリスト教を一大呪詛と呼ぶ。
科学者が天才視されないのは、単なる理性の児戯にすぎない。
総じて値段がつくものは、すべて価値のないものである。
この世に存在する上で、最大の充実感と喜びを得る秘訣は、危険に生きることである。
事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。
9
最上の愛の杯のなかにも、苦いものはある。
キリスト教徒はただひとりしかいなかった。そして、その人は十字架の上で死んだ。
生きるとはなんのことか…生きるとは…死にかけているようものを、絶えず自分から突き放していくことである。
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