大前研一
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企業経営を取り巻く環境の変化は激しく、手をこまねいていると気が付いたときには危機的な状況ということにもなりかねない。
自分に対する責任、家族に対する責任、社会に対する責任、日本人として日本という国に対する責任──この四つの責任だけはつねに自覚していろ。
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日本にいて膝を抱えてじっとしていたら、何が正しくて何が間違っているかは絶対にわかるようにはならない。
運命のほうが、なんとかよくなってくれなどと期待しても、棚から落ちてくるのはボタモチではなく、ホコリばかりでしょう。
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参謀が戦略やアイデアを授けても、それを速やかに実行に移せる大将というのは、実はそうはいない。
企業参謀たるものは、前提条件を疑え。
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他人の見方を覚えるのではなく、自分の頭に思考の脈絡を持って取り入れることだ。そのとき、そのときに自分の考えを加えて、棚の情報を整理する。そうすることで、ものごとに対する見方がどんどん変わってくるし、広がっていく。情報の感度も絶対に高まる。さらに、情報は使うこと。アウトプットすることでその情報は批判され、咀嚼され、さらに磨かれていく。
どこにも答えがない時代に、私たちは生きている。ならば、今までの常識を疑い、新たな答えを探し出さねばならない。
コンサルティングでも、複数のコンサルタントを雇っている会社の仕事はしないことにしている。それから、「ウチの会社はこういうことがやりたいので、A社さん、B社さん、C社さん、提案書と見積書を出してください」という入札仕事も絶対にやらない。「大前さんしかいない」と言ってくれなければ、考え始めない。自分の人生の大切な時間を割いて、相手のために命がけで考える神聖な仕事である。量販店の売り物ではない。
何度オールクリアしても、その時々に自分で納得してやっていれば、他人には若干遅れをとったとしても人生を楽しむことができる。
私はもう10年ほど前から新聞をとっていない。新聞は一面トップ記事の決め方など、紙面での取り扱い方によっていくらでも重要度や印象が操作されるし、世界中を飛び回っているとしばしば「旧聞」になってしまうからだ。またテレビは、NHKのニュースなど人畜無害で何の役にも立たない。見るならBSでやっているアルジャジーラなど世界の放送局のサマリーだけで十分だ。
私はどうやって情報を仕入れているのか。もっぱらサイバースペースから取ってくる。ネット上の記事はすべて均一の大きさで並んでいる。つまり私にとってのトップ記事を自分で決めるのだ。しかも絶対に受け身で情報をとらない。こちらから引っ張ってくる感じだ。「世界経済」「日本経済」「地方自治体の動向」「重要な国の地政学的な変化」など、自分が興味のあるカテゴリー別にRSSを活用して、幅広い情報源から自動的に情報を収集している。
異質が集まるからこそ、エネルギーが生まれる。
雑誌は編集方針が偏っているものばかりを買う。知識よりも、ものの考え方がわかるからだ。幕の内弁当のような雑誌は栄養にならない。
もし「そのうちに」やりたいことがあれば、今、そう今の今やりなさい。
情報を得るための一番の原動力は、興味・関心を持つことである。咸臨丸の時代や戦後の高度成長期の日本人は海外の情報に旺盛な興味があったし、それを日本に持ち帰って日本初の何かを生み出さなければならないという使命感のようなものがあった。それがいまやまったくない。興味も関心も使命感もなくなってしまった。
「情報投資にどれくらいのお金をかければいいですか?」と最近、聞かれることがある。人によって違うのは当たり前だが、自分の体を維持するためにどれくらいの食費をかけているか、考えてほしい。胃に入れる金額と頭に入れる金額を同じにしろ!というのが私のアドバイスである。
アメリカやドイツなどのエリートビジネスマンほど非常に意識が高い。彼らが普段、どのような努力をしていて、時間の使い方はどんな工夫をして、家庭とはどう向き合っているのか――。リンクトインなどを通してそうしたことに触れるのはビジネスマンにとって非常に意味があるだろう。
イトマキエイのように情報をガバガバと呑みこんだところで、一昨日の夕食に何を食べたか思い出せないように、情報は体外にそのままストンと流れ出てしまって終わりとなる。
やりたい事があるなら先延ばししてはいけない。やりたいと思ったときが「すべきとき」なんです。
大前研一のすべての名言