東国原英夫
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社会とは、清廉潔白ではありません。いろいろなものがゴチャゴチャと混ざり合った濁った川のようなものです。当然、誘惑も多い。ですから、無理に我慢せず、そもそも自分にとって本当に必要なものは何なのか、そこから考えてみてはどうでしょう。
僕は走っていることが面白くて仕方がありません。煩悩を我慢するのではなく、小さな煩悩よりも、もっと快感が得られるものに出会うことができました。自分の価値観を転換して、もっと面白いものへと移っていくからこそ、こうやって楽しく続けられるのです。雑多な日常を忘れて、無我夢中で走っていると、生きるのに最低限必要なものがわかります。まず空気と水。それと食糧、睡眠、休憩といったものが残り、とりあえずカネとか肩書きなんて必要なくなります。
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どこ出身?
一箇所に全力を注ぐためには、保険をかけない。後はないという覚悟でやって初めて実力以上の力を発揮できるのだ。
政治家になりたいという夢の根底にあったのは、国を変える、地方を変えるという強い意志だった。国民一人ひとりを幸せにしたい、その想いを実現する過程の一つの手段として、政治家というものがあった。お笑い芸人になりたいという夢もまた、根底にあったのはみんなを幸せにしたいという想いである。
「命もいらず、名もいらず、官位も金も要らぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして、国家の大業は成し得られぬなり」西郷隆盛が残した言葉です。名誉やカネなどにつられない人間は厄介だが、そういう人間でなくては国づくりのような大業は成しえないということです。要するに欲のないやつが一番強いということです。
政治の敵は無関心なんですよ。
お笑い芸人と政治家は、どちらも小学校5年生のときから持っていた夢だった。
僕の場合、カネやオンナなど煩悩に対する欲望はすでに一回転してしまったところがあります。いまはそういう欲を満たすこと自体が目的で生きていません。むしろ、いまの自分の原動力は、国を変えることとか地方の在り方を変えることにシフトしていて、そちらの方が大きな快感と思えるようになりました。
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給料分は自分で納税した分で賄うのが目標だったから、達成できた。
いつも上着のポケットにA6判の小さなノートを入れています。とくに勉強しようと構えなくても、人と話をしていたり雑誌を読んで興味を持ったことなどを気軽に書きとめることができるから便利です。気づいたことを片っ端から書き続けた雑学ノートは、あとで見返せば、僕にとってすごくいい参考書になっています。
自分が進んで行動するということを、生きる際の理念、哲学として持っている。
いつも持ち歩いているA6判ノートはだいたい1か月で1冊使い切ります。最近は3から4年前までのものしか残していませんが、記録するとともに、手を動かして文字を書きつけることで、そのときに脳に刻み込むことが大事です。
失敗した恥ずかしさや負けた悔しさは大きな原動力となる。いや、それらを原動力として、もう一度頑張ればいい。
僕が大学のノートづくりで工夫した点は、講義の内容に対して自分なりに考えたことや思いついたこと、疑問点、あとで質問したい項目などをメモしていたことです。さらにノートの上の余白は、レポート提出の締め切りなどの連絡事項をメモする備忘録にしていました。こうすることで、その時々に感じた問題意識をノートの中で解決していました。こうした記録の仕方は、あとになって実社会で役に立つ場合が多く、僕にとっては貴重なデータベースとなっています。
どんな世界でも、頂点に立つ人、メダルを取る人は人一倍努力している。
知事になって僕が県庁の担当の人たちにお願いしているのは「現場主義」と「A4主義」です。現場を知らずにものを考えるな、発想の原点は現場にあるということと、僕の手元に届ける報告は、内容をA4サイズの用紙1、2枚程度にまとめて欲しいということです。要点を絞り込んで簡潔にしても僕にわからないものは、県民の皆さんにもわからないだろうと思うからです。
人の上に立つ人間には、それなりの覚悟と度量がいる。何よりも、人間的な魅力がなければ人はついてこない。
人生の岐路で何かを決断したとき、その決断が最良かどうかなんて誰も分からない。自分が決断、選択した道を、努力によって最良にすればいい。
ノートをとる代わりにパソコンを打ち込む人もいますが、私はできるだけ手書きでやっています。原稿を書くときは文章を入れ替えたり、文体を整えたり推敲を重ね、書き直しをするのでパソコンを利用します。
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