開高健
1
生まれるのは、偶然生きるのは、苦痛死ぬのは、厄介。
3
海を愛するのは賢者であり、山を愛するのは聖者である。
2
毒蛇は急がない。
犬好きも猫好きも、どこか病むか傷ついているかという点では完全に一致しているのではないかと思う。
4
無駄を恐れてはいけないし、無駄を軽蔑してはいけない。何が無駄で何が無駄でないかはわからないんだ。
ハンティングの体験は深いものだったね。一発のライフルの銃声が引き起こしたものはいっぱいありまして、私はいまも戸惑っているようなところがある。
悠々として急げ。
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私は鍛錬訓練が普通にできる人が好き。役者の場合鍛錬訓練はお箸の上げ下ろしと一緒。
しばらくぶりで出会ったとき、握手をして、さてそれから、その後いろいろなことがありました、という意味のことをいうのに、「橋の下をたくさんの水が流れました」という。
遠い道をゆっくりとけれど休まずに歩いていく人がある。
漂えど沈まず。
右の眼は冷たくなければならず左の眼は熱くなければならないのである。いつも心に氷の焔をつけておくことである。
東南アジアへ出かけていく折があれば必ず、ネズミ料理を食べることにしている。その肉はあっさいりとして食用ガエルやトリ肉に似ているが、カエルのように水っぽくはなく、トリよりは野性味があり、もっとコクがあって精妙である。
海が鳴る夜は人も答えねばなりません。
明日、世界が滅びるとしても今日、あなたはリンゴの木を植える。
いいか、諸君、イギリス人のアダ名はビーフイーターということになっている。あるローストビーフ気ちがいのイギリス人は、牧場の草を見て、こんないい草を食べた牛はどんなにうまいだろうかと思って唾を呑んだという話がある。この話を笑うのはいいが、よろず物事は徹底しなければいけないのだ。
朝露の一滴にも天と地が映っている。
教えるものが教えられるのが教育の理想である。
サイゴンでは毎日のようにプラスチック爆弾が破裂して、大半は無告の民が死んで行くわけですね。キャバレーの女性のバラバラの肉体、血まみれの腸、目玉、太ももを忘れようとしても忘れられないけれども、いざ書こうとすると、道端のハイビスカスの花がどう揺れていたかがよみがえってくる。
波のなかに岩があるたくさんの獣が遊んでいる。
開高健のすべての名言