蜷川幸雄
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生意気だったんだけど、その生意気さに実力がともなわないから、おもしろがられた。
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「俳優の研究生みたいなのをやってみようかな」って言ったら、母親は「ああ、いいよ」と言ったんですね。きょうだいが多かったし、末っ子だったから、「別にあなたに過大な期待をしているわけじゃないから、自由にやれば」って。で、劇団青俳を受けたら、受かった。
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嫌いなことをやることだ。
つるべで水を汲むというのと、浅い川を渡るという、エチュードの出題があったんですよ。そう言われたから、ズボンをめくったり、「つるべの水だから、こうかな」とか考えてやったりしたんですけど、上手いはずがないんですよ。なんの訓練も受けていないし、エチュードなんて知らないから。
これは僕の個人的な意見だけど、異質なセリフ、言語との差を埋めようとする溝が大きく、少し無理するぐらいのほうがいいんだよね。
母親に、「大学を出る年まではおこづかいをあげるから、何もしなくていい」って言われたんですよ。だからぼくはアルバイトをしたことがない。
若い世代に演劇史も学ばせ、連続した流れの中の演劇人として生きていることを、自覚する機会を与えたい。
嫌だよな。絶対、嫌ですね。
エチュードのほかに、言葉の連想ゲームみたいな試験があった。「ライオン」と聞かれて、「割れたスイカ」と答えたんですね。スイカが割れれば真っ赤で、ライオンの開いた口にそっくりだから。
リアルな演劇を追求していた活動に対して「それはヨーロッパのマネじゃないか!」と反発した。
外からいろんな人がきて演出し始めることになるんですけども、そうすると、たとえば文学座なら文学座に籍がある演出家がきても、仕事として一本の戯曲を演出しただけで、終わって帰るわけですね。日常生活の変革もしてくれなきゃ、関わり方も職業的。それじゃあ俳優は育たないよな、とぼくは俳優の立場で長い間、思ってたわけ。
日本の演劇の欠けている部分を埋めていきたい。
子どもの自転車の補助輪をはずすと、怖がって嫌がる。ちょっと行って、ひっくり返ってすりむく。すりむいて、けがするなとは絶対いってない。努力したことに対してだめだな、とは一回もいっていないはずなんだ。怒ることは絶対ない。だから、勇気をもって、時には手放さないと。
ぼくなんかは、今だって、俳優に「そういう生活スタイルじゃダメだ」とか言いますよ。
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受かってから、劇団員の人に「おまえの発想は、カラフルだ。色彩が多い。それがおもしろかった。」と言われたので、それで入ったのかなと自分では思ってるんです。
観てもらって、面白かった、刺激されたって言われるとそれはうれしいな。
その結果、時間と空間を越え、人称も時代も自由に変わっていくような演劇が生まれたし、実は、そういった手法では日本のほうが先行していたと思うんですよ。ただ、そればかりになってしまい、戦うべき大本のリアリズムがなくなり、誰もそこをやらなくなっちゃった気がする。
妬むより妬まれろ。
僕らがよかったのは、スタニスラフスキーシステムのように論理的な意味があって行動があるっていう演劇と、安部公房のように「笑いなんて横隔膜のけいれんだ、情緒なんかいらないんだ」っていう両極端を学んだので、世界を捉える持ち手が多いんだよね。
自分がのちに演出家になっても思うんですが、俳優を選ぶときって、まあ、そんなに決まった基準があるわけじゃない。演技力で言えば、演劇経験がある人がある程度上手くできるわけですね。だから研究生を選んだ青俳の劇団員たちは、自由だったんだろうと思う。
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