僕らがよかったのは、スタニスラフスキーシステムのように論理的な意味があって行動があるっていう演劇と、安部公房のように「笑いなんて横隔膜のけいれんだ、情緒なんかいらないんだ」っていう両極端を学んだので、世界を捉える持ち手が多いんだよね。
蜷川幸雄
蜷川幸雄のその他の名言
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内面の問題の抱え方とか、勉強の仕方とか。日常生活のたくさんのことが舞台に表れてくるわけだから、それをちゃんとやれ。というような指導を演出家がやってくれない限り、俳優は育たないと思っているわけです。
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本を読んだ感想を聞いて、演技を見て、いいとか悪いとかって批評してくれる。倉橋さんの演劇を全部いいとは思わないけれども、演出家のあり方というものについては習いました。
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青俳には映画に出ていた俳優さんが多くいて、その映画も独立プロの映画ですから、その当時で言えば、ある程度進歩的な人たちの集団に思えたわけですね。
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窪田君は前から一緒に仕事をしようと思ってて、一度お会いしたりしてるんですが、その時オーディションがあったんですけどセリフを満足に覚えてなかったからやめたんです。
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木村功さんや岡田英次さんら、錚々たる人たちがいる。まだ無名だった西村晃さんもいた。みんな、ぼくより12歳ぐらい上なんだけど、あとから考えると、当時20代、30代で、若いんですね。
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これは僕の個人的な意見だけど、異質なセリフ、言語との差を埋めようとする溝が大きく、少し無理するぐらいのほうがいいんだよね。
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元の集団は「青年俳優クラブ」という名前ですから。劇団青俳は「青年俳優」からきてるんですね。そういうところだったんで、普通の劇団とちょっと違っていた。