やっていきながら決めていく感じ。
蜷川幸雄
蜷川幸雄のその他の名言
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僕は「現代人劇場」はじめ、いままでずっと集団を3年単位で壊したり作り直したりしてきたけれども、その経験から「組織は3年で腐る」と思っているんだよね。
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木村功さんや岡田英次さんら、錚々たる人たちがいる。まだ無名だった西村晃さんもいた。みんな、ぼくより12歳ぐらい上なんだけど、あとから考えると、当時20代、30代で、若いんですね。
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元の集団は「青年俳優クラブ」という名前ですから。劇団青俳は「青年俳優」からきてるんですね。そういうところだったんで、普通の劇団とちょっと違っていた。
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「真田風雲録」でメインについたやつらが「美しきものの伝説」の稽古で全員ダメだったんだよ。で、ダメだと思っていたやつらが全員よかった。
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人と違うことをやることで、なんとか自分の存在証明をしたかったんでしょうね。人と違う、すごいものを作りたいっていう思いだけはありました。
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窪田君は前から一緒に仕事をしようと思ってて、一度お会いしたりしてるんですが、その時オーディションがあったんですけどセリフを満足に覚えてなかったからやめたんです。
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状況と直結しているような内容を、ある種の過激なひた走り方でやっていく集団でした。ですから、同時代の若い人たちにはものすごく受けたと思うんですよ。
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僕の才能のはかり方では見えなかったものがあったのかもしれないと、反省しているわけだ。僕もそれはびっくりしたんだよ、あいつらの無表情の奥には何かがあったんだと。