青俳には映画に出ていた俳優さんが多くいて、その映画も独立プロの映画ですから、その当時で言えば、ある程度進歩的な人たちの集団に思えたわけですね。
蜷川幸雄
蜷川幸雄のその他の名言
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本を読んだ感想を聞いて、演技を見て、いいとか悪いとかって批評してくれる。倉橋さんの演劇を全部いいとは思わないけれども、演出家のあり方というものについては習いました。
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木村功さんや岡田英次さんら、錚々たる人たちがいる。まだ無名だった西村晃さんもいた。みんな、ぼくより12歳ぐらい上なんだけど、あとから考えると、当時20代、30代で、若いんですね。
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受かってから、劇団員の人に「おまえの発想は、カラフルだ。色彩が多い。それがおもしろかった。」と言われたので、それで入ったのかなと自分では思ってるんです。
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窪田君は前から一緒に仕事をしようと思ってて、一度お会いしたりしてるんですが、その時オーディションがあったんですけどセリフを満足に覚えてなかったからやめたんです。
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元の集団は「青年俳優クラブ」という名前ですから。劇団青俳は「青年俳優」からきてるんですね。そういうところだったんで、普通の劇団とちょっと違っていた。
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エチュードのほかに、言葉の連想ゲームみたいな試験があった。「ライオン」と聞かれて、「割れたスイカ」と答えたんですね。スイカが割れれば真っ赤で、ライオンの開いた口にそっくりだから。
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人と違うことをやることで、なんとか自分の存在証明をしたかったんでしょうね。人と違う、すごいものを作りたいっていう思いだけはありました。