蜷川幸雄
0
やりたくなくても、いいからやれ!
1
つるべで水を汲むというのと、浅い川を渡るという、エチュードの出題があったんですよ。そう言われたから、ズボンをめくったり、「つるべの水だから、こうかな」とか考えてやったりしたんですけど、上手いはずがないんですよ。なんの訓練も受けていないし、エチュードなんて知らないから。
これは僕の個人的な意見だけど、異質なセリフ、言語との差を埋めようとする溝が大きく、少し無理するぐらいのほうがいいんだよね。
嫌いなことをやることだ。
外からいろんな人がきて演出し始めることになるんですけども、そうすると、たとえば文学座なら文学座に籍がある演出家がきても、仕事として一本の戯曲を演出しただけで、終わって帰るわけですね。日常生活の変革もしてくれなきゃ、関わり方も職業的。それじゃあ俳優は育たないよな、とぼくは俳優の立場で長い間、思ってたわけ。
口を開けて、そこへオートミールをつっこむように近代戯曲を入れるような作業です。
「俳優の研究生みたいなのをやってみようかな」って言ったら、母親は「ああ、いいよ」と言ったんですね。きょうだいが多かったし、末っ子だったから、「別にあなたに過大な期待をしているわけじゃないから、自由にやれば」って。で、劇団青俳を受けたら、受かった。
2
生意気だったんだけど、その生意気さに実力がともなわないから、おもしろがられた。
嫌だよな。絶対、嫌ですね。
研究生は裏方につかなきゃいけないんだけど、ぼくは「俳優だから裏方はやりません」と言って、つかなかった。
一浪してるし、そもそもそういう発想は全然なかった。親もそういうものは望んでいませんでした。
若い世代に演劇史も学ばせ、連続した流れの中の演劇人として生きていることを、自覚する機会を与えたい。
ぼくなんかは、今だって、俳優に「そういう生活スタイルじゃダメだ」とか言いますよ。
3
日本の演劇の欠けている部分を埋めていきたい。
子どもの自転車の補助輪をはずすと、怖がって嫌がる。ちょっと行って、ひっくり返ってすりむく。すりむいて、けがするなとは絶対いってない。努力したことに対してだめだな、とは一回もいっていないはずなんだ。怒ることは絶対ない。だから、勇気をもって、時には手放さないと。
内面の問題の抱え方とか、勉強の仕方とか。日常生活のたくさんのことが舞台に表れてくるわけだから、それをちゃんとやれ。というような指導を演出家がやってくれない限り、俳優は育たないと思っているわけです。
自分がどれだけ勉強していないか、上手いと思っているのがうぬぼれにすぎないかというのは、よくわかっていたんですね。
俳優になろうかなと思ったんです。ものすごい決意があったわけじゃなくってね。
妬むより妬まれろ。
三越劇場にぶどうの会の「蛙昇天」という芝居を見に行ったんですよ。山本安英さんが、「戦争は嫌です!」みたいな生々しい台詞を言いながら客席を走り回っているのを見て、これはおもしろいなあと思った。おもしろいっていうか、演劇って、衝動的なものをそのまま表せるメディアなんだなと思った。
蜷川幸雄のすべての名言