松井秀喜
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日本海のような広く深い心と白山のような強く動じない心僕の原点はここにあります。
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次の仕事も必要かもしれないけれど、自分にそのエネルギーが湧いてこないことにはどうしようもない。
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残念ながら過去に戻ることはできません。しかし、未来の自分はコントロールできます。それならば、前に向かうしかありません。
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ぼくは階段を少しずつのぼっていくタイプだと思っているんです。
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僕は野球に対してだけは、どんなことがあってもこれが好きなんだ、夢をかなえたいんだという思いを持ち続けてきました。
個人記録というのは全く考えませんね。皆さんが話題にされるのは分かりますが、自分が関心を持つことはない。
力を出し切ればおのずと良い結果を生むと思います。
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三年間が終わってしまったんだと思ったら、ふと涙が出てきました。
絶対に、前よりすごい選手になって戻ってやる。
打撃というのは相手投手、場面によって変わってくる。常にニュートラルな位置にいて、投手に向かっていくようにしています。だから、たとえ良い打撃をしても、その感覚を次の打席も続けようとは思いません。良かったことを忘れることも大切なんです。
外国人選手のように肩が強くなければ、捕ったらすぐに投げればいい。脚力が劣れば、スタートの第一歩をどうするかを考えたらいい。自分は何で勝負出来るかを考えることによって、活路が見いだせるはずです。
苦しみやつらさこそが、生きている証ではないでしょうか。今、自分がすべきことは何なのかを正確に受け入れ、それを補う努力をしていくしかないと思っています。
僕は変化というのは自分からは求めていません。求めていかなくても変わるところは変わっていくでしょうし。こっちのやり方がダメならあっちの方という考えはないんです。
これまでの本塁打とはちがいます。打った球場がちがいます。333本目ですが、今日が一本目という感じです。
どんな状況であれ、常に自分ができることを精いっぱいやることが大事だと思っています。
僕は、生きる力とは、成功を続ける力ではなく、失敗や困難を乗り越える力だと考えます。
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ここには、かつてベーブ・ルースが立っていたんだなぁって、きっと思うでしょうね。楽しみですね、足を踏み入れるその瞬間が。
私が本気でお説教らしきものをしたのは一回だけです。子どものときではなく大人になってからです。プロ2年目の1994年オフ。日本シリーズで西武ライオンズを4勝2敗で倒し、日本一になり、故郷に凱旋したときでした。辺りが薄く暗くなった夕刻、家の前は報道陣とファンでごった返していきました。そこへ秀喜がタクシーに乗って帰ってきたのです。秀喜がタクシーを降り、周囲を一瞥し、手をあげた瞬間、私はドキッとしました。さりげない動作の中に天狗になってるというか、スター気取りというか、いやな雰囲気を感じ取ったのです。秀喜の瞳の中には明らかにおごりの光が宿っていました。その夜、わたしは秀喜に対し、言葉を選びながら初めてこんこんと思いを語りました。「主観的に自分を見てはいけません。客観的に立場を見なさい。周囲の人、たとえばマスコミやファンは野球選手として、バットマンとしての一面を見て、美化しているにすぎません。人間性とか、ほかの面で評価しているのではないのです。秀喜は自分では気付かないだろうが、あの態度は少し変だ。お父さんはまるで凱旋将軍のように感じられました。」。
日本に帰ってプレーする可能性はゼロじゃないと思います。たとえば、プレーを続けたいけど、メジャーの球団はどこも雇ってくれない。で、日本で契約してくれるチームがあり、なおかつ、僕がプレーを続行したいという意思があれば可能性はあります。もちろん、現時点では考えていませんが、将来的にはまったくないということはないような気がします。
自分が野球をしていられることが、平和であることだと思っています。
松井秀喜のすべての名言