衣笠祥雄の名言
元プロ野球選手
衣笠祥雄の名言。全58個。
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どんな時でも、投げてくる球をしっかり見据えて、フルスイングしないと何も残らない。明日につながらないんです。人生だって同じかもしれませんね。
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人間、自分ひとりでできることには限界がある。だけど、人と力を合わせると、不思議なことに不可能も可能に、夢も現実になっていく。だから、出会う人を大切にするんだよ。
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ひとつハードルを飛び越えられれば、必ずひとつ力がつく。それが自信になって、次にはもう一段高いハードルを越えられるものだ。
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誰にも好きなことはあるだろう。やっていて飽きないことがあるだろう。だからお父さんは言うんだよ。何でも好きなことをしなさいって。好きなことには、きみたちの素質があるからなんだ。
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自分がここにいるのは、可能性があるということだ。可能性がなければ、この場所にはいない。そう思って、いつも自分を信じることだ。
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プロ野球80年の栄光の歴史は、先人たちの努力の賜物です。この努力に対しては、いくら感謝しても感謝し過ぎるということはありません。現役のプロ野球選手諸君は、ここを分かってほしい。
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私が子どもの頃、憧れたように、今の選手は子どもたちの憧れの人になって欲しいのです。そうなることで、また歴史がつながっていく。プロ野球が衰退してしまったら、先人にも次の人たちにも申し訳が立ちません。
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後楽園球場のスタンドを見てビックリしました。広島ファンの赤い帽子と巨人ファンの黒い帽子で見事に2つに分かれている。スタンダールじゃないけど「赤と黒」の世界ですよ。
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阪神の金本はもう別格ですけど、意外と見逃されがちなのが巨人のラミレス。彼は休むような故障も本当にしないし、しっかり結果も残し続ける、頼もしい存在ですね。ヤクルト時代からそうだったでしょう。
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65年、入団直後に買ったアメリカ車フォード・ギャラクシーです。ところがこれが大問題。監督がマツダの小型車に乗っている時代でしたから、18歳の若造が何をやっていると大目玉を食いました。
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誰よりも故・根本陸夫さんにはお世話になりました。入団3年目に監督としていらっしゃったのですが、ひと目見た時から、この人には逆らえないと感じました。人生の箍ははずしちゃいけないと教えられました。
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自分の成績を考えず、学校の勝利のためだけにプレーするという純真さ。プロと違って、自分が打っても、学校が負けたら終わりですから。
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自分のプレーは忘れたけれど、入場行進だけは覚えている。伝統校・平安のユニホームを着て、グラウンドに出たときの晴れがましさ。やっぱり、一生の思い出ですね。
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1984年にはじめて打率3割を達成しました。そのとき、凡打した残りの6割7分1厘について考えはじめた。バッターが求めるのは当然打率10割ですから。
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練習が終わったあとの時間の使い方が重要。チームでやる練習がすべてじゃない。プライベートな時間にもどれだけ個人練習するかが重要なんです、プロというのは。
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オーダーを固定できるチームはやはり強いです。例えば投手を10人、野手も12~13人で1シーズンまわせれば、ちゃんと計算ができる。その上で、スピードがある選手が揃えば理想的です。
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やはり本当のレギュラーと呼ばれる選手には、135試合ぐらいはちゃんと出てもらいたい。出たり休んだりの繰り返しでは、あてにできませんから。
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鎌倉のお坊さんが書いた「ただの人であれ」というタイトルの本が印象に残っています。ちょうど79年の大スランプの時に手にしたんです。追い詰められた時に何度も何度も読みました。